ボクシングの魅力
〜中量級 黄金の80年代〜

−前書き−

ボクシングとは、殴り合いでありながらプロスポーツとして存在し、オリンピックの競技にもなっている神聖な競技である。階級別に試合をするようになった近代ボクシングが成立したのは1870年大に入ってからで、それまでは無差別級のバリートゥードであり、スポーツというよりは殺し合いに近いものであった。これが1920年代に入り、25ラウンド制になり、1940年代に入ってから、15ラウンド3ノックダウン制になったのである。
現在のボクシングにはミニマム〜ヘビー級の17階級が存在しており、ミニマム(47.61s以下)からスーパーフェザー(57.16〜58.97s)の軽量級、ライト(58.97〜61.23s)からスーパーミドル(72.5〜76.20s)を中量級、ライトヘビー(76.21〜79.38s)からヘビー(90s以上)の重量級と、大きく3つの段階に分類される。
これから紹介するのは1980年代、ボクシング界を沸かせた4人の中量級の選手です。

−黄金の中量級:デュランとレナード−

1970年代初頭、モハメド・アリ、ジョージ・フォアマンを筆頭とするヘビー級全盛のボクシング界を揺るがすスーパースターが中量級に誕生しました。
その名はロベルト・デュラン。彼はライト級の選手でした。1967年のデビュー戦を4ラウンド判定勝利で飾った彼は30連勝し、31戦目のWBA世界ライト級タイトルマッチで王者ケン・ブキャナンを13ラウンドでKOし、王座に着きます。その後、ノンタイトル戦で1敗するも、世界タイトルを13回防衛(この中にはガッツ石松の10ラウンドKO勝ちも含まれています)、1978年にはWBC世界ライト級王者のモンロー・ブルックスを8ラウンドでKOし、王座を統一します。凄まじい破壊力のパンチを誇った彼は”石の拳”と呼ばれ、この時の戦歴は68勝1敗、うち55KO勝ちという、KOパンチャーでした。この階級での選手を淘汰した彼は王座を返上。新たなる敵を求めて階級をスーパーライトに上げ、ノンタイトル戦で5戦5勝、世界挑戦の機会を待ちます。1階級上でも彼は無敵になる、はすでした。しかし、そんな彼の前に大きな壁が立ちふさがります。後に5階級制覇をするシュガー・レイ・レナードです。

常に殴り合いによる短期勝負で勝利を手にしてきたデュランと違い、レナードは持ち前のスピードとスタミナを重視した長期試合を得意としていました。1977年のデビュー戦を6ラウンド判定で勝利し、デビューから2年9ヶ月後の26戦目、当時WBC世界ウェルター級のチャンピオンだったウィルフルド・ベニデスを15ラウンドKOで下し、無敗のまま王者になります。この若き天才王者に目をつけたのが、他でもないデュランだったのです。デュランは階級をウェルターに上げ、1980年6月20日、WBC世界ウェルター級タイトルマッチで遂にレナードと対決することになります。
序盤は両者様子見で始まった。距離をとるレナード、詰めるデュラン。第2ラウンド、左ストレートを放ったレナードの打ち終わり際、デュランの左フックがレナードの頬を掠める。レナードの肩が一瞬が落ちる。一気に間合いをつめ、ガードの上から容赦なく石の拳をたたきつけるデュラン。レナードの攻撃にあわせてカウンターで連打を放つ。いまいちスピードが乗らないレナード。次のラウンドでも開始早々からデュランに距離を詰められ、クリンチ気味の状態からフック、アッパーと容赦ない攻撃を受ける。4、5ラウンドもレナードが耐える展開に。しかし、6ラウンド後半、疲れのためか少々足の鈍ってきたデュランにレナードの左右のボディブローがヒット。思わず腰が落ちかけるデュラン。しばらく両者一進一退の攻防が続く。12ラウンド、反応の鈍くなったデュランにレナードの左右のストレートがヒット。距離を詰め、クリンチの状態からボディーを狙うデュラン。負けじとボディーを打つレナード。スピードの落ちたデュランの攻撃をかいくぐるようにしてカウンターをヒットさせるレナード。しかし、ラスト10秒になりまたもコーナーに追い込まれ、ボディー攻撃を受ける。そして最終15ラウンド、開始早々から距離をつめるデュランをなんとか懐に侵入させないように左で牽制するレナード、しかし、やはり近距離の打ち合いに。最後の力を振り絞り、インファイトで打ち続ける両者。結果は判定へ。序盤のポイントが有効となり、デュランが勝利します。
しかし、11月に行われた再戦、スピードで勝るレナードの、デュランの攻撃をかわしながらカウンターという、リーチを生かした攻撃が続き、8ラウンド、全く触れないことに怒ったデュランが「it’s unanimous!」と試合を放棄。自らの経歴に汚点を残す形でタイトルを放棄してしまいます。

−ヒットマン トーマス・ハーンズ−

タイトルを奪回したレナードは1981年9月16日、WBAとのタイトルの統一戦を行うことになります。当時のWBA王者はトーマス・ハーンズ。1977年11月25日のデビュー戦を2ラウンドKO勝利で飾り、後にWBC世界スーパーライト級王者になるブルース・カリーを3ラウンドでKO。1980年8月2日、当時WBA世界ウェルター王者で11回連続防衛中で”ジョー・クラッシャー”と異名を持つホセ・ピピノ・クエバスを2ラウンドでKO。一気に頂点に上り詰めます。レナードと戦う前の戦歴は32戦32勝30KO。このうちのほとんどが1〜4ラウンドでの早期決着で、身長180cmというこの階級では長身な身体から繰り出されるリーチの長いパンチを誇る彼は、別名”ヒットマン”と呼ばれるカウンターパンチャーでした。

第1ラウンド、リーチで勝るハーンズの懐になかなか入れないレナード、しかし、それでも単発のジャブが何発か当たります。対するハーンズは中距離を保ったまま素早い右ストレート、ジャブ、ボディーブローと多用してきます。このほとんどをかわすレナード。ゴングと同時にハーンズが右フックを出し、それをレナードが落ち着けとばかりにハーンズの頭を軽く叩きます。しかし、それに対してハーンズは左フックで反撃。ゴング後だっただけに会場は大ブーイングに包まれます。その後、徐々にペースを取り戻した両者は試合中盤、果敢にも近距離の打ち合いにでます。ハーンズの右フック、左ストレート、カウンターで左ストレートをヒットさせるレナード、お互いに打ち合いを演じます。しかし、10ラウンドに入り、やや疲れてきたのか、互いに様子見でのカウンター狙いになります。執拗に左右のジャブ、ストレートで攻撃を仕掛けてくるハーンズ、それを寸でのところでかわすレナード。この辺から試合がレナードのペースになります。13ラウンドに入ると、ハーンズの打ち下ろしにレナードがカウンターを入れる形になります。明らかにスピードの落ちたハーンズ。時おり、レナードのストレートが顔面に当たるようになります。しかし、互いにクリーンヒットが出ずに迎えた13ラウンド、開始1分30秒を過ぎた頃、ハーンズが左ストレートを放ってしばらくし、レナードの左ストレート、右フックがハーンズの顔面にクリーンヒット。ここからレナードの猛攻が始まります。リング中央で左右の連打を10発以上もハーンズノ頭に叩き込むレナード、なんとか足を使って逃げようとするハーンズを追い詰める。ハーンズのストレートが当たってもかまわず打ち続けるレナード。その結果、残り1分10秒というところでハーンズがロープに寄りかかった状態でダウン。これがハーンズにとって初のダウン。カウント9で立ち上がったハーンズに容赦なく左右のストレートを放つレナード、足を使い左右のジャブで懐に忍び込ませないように抵抗するハーンズ。しかし、それでも果敢に攻め続けるレナードがまたもハーンズをロープ際に追い詰める。抵抗を続けるハーンズだったが、レナードのボディーブローと左右のストレートが効いてたまらず2度目のダウン。カウント9と同時にゴングに救われる形に。そして向かえた14ラウンド、足を使い距離を取って様子を伺うハーンズ。をかしレナードの大振りの右フックがハーンズの頬を掠めると、ハーンズは大きくよろめく。すかさず左右の連打を叩き込むレナード。ハーンズの最後の抵抗ともいえる右ストレートもなんなくかわし、ロープ際に追い込み、ボディーブロー、ストレートを10発近く叩き込む。ガードするだけのハーンズ。左右のフックがハーンズの顔面に当たった瞬間、レフェリーが試合を止めた。レナードの14ラウンドTKO勝ちである。
名試合を演じたレナード。しかし、翌年2月の防衛戦を制した後の記者会見で、レナードは突然の引退表明をします。


パート2へ続く


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