中量級 黄金の80年代・その3〜

レナード黄金期 4つ巴の戦い
引退から3年、レナードがリングの上に復帰します。目的はただ一つ、ミドル級の帝王、マービン・ハグラーを倒すこと。1987年4月6日、この日、”中量級最強”の男を決める対決が行われました。
序盤は追うハグラーをレナードがサイドステップでかわし続け、ハグラーが踏み込んできたところをクリンチ、ブレイク後、レナードがボディー攻撃、ストレートを出して接近するも、それを今度はハグラーがクリンチと、なかなか見せ場の作れない展開。2ラウンド終了間際にレナードの左右のジャブからボディー攻撃のコンビネーションが当たったくらい。
4ラウンドに入ると、ハグラーとレナード、お互い強烈なフック、アッパー、コンビネーションを披露するもほとんどガードされ、レナードが放った右手を回転させてからの間をおいたショートボディーブローやハグラーの右ストレートがたまに当たるだけで互いに決定打が出ない。しかし、5ラウンド中盤に入り、流石にレナードのスピードが落ち始め、サイドステップの最中に強引にハグラーに接近され、右ストレートがすう発当たるり、ロープ際でボディー、ストレート、ジャブ、フックのコンビネーションや連打をガード越しで浴びる悲劇。この回はなんとかしのいだものの、6、7、8ラウンドと、レナードの左ストレートやボディーや左右のコンビネーションが当たったかと思うと、ハグラーの近距離でのストレート、フックからの右アッパーが連打される。お互いが被弾しあう展開は次の回も続き、レナードは距離をとることが出来ず、ハグラーの攻撃を受け続ける。一方のハグラーもレナードの左右のフック、ボディー攻撃の連打を受けるも、互いに倒れない。残り30秒になると、お互いに大振りが目立ち、明らかにスピードが落ち始める。
10、11ラウンドになると、接近戦ではハグラーの左右のコンビネーションの連打のうちのいくつか決まるものの、離れた後にレナードがハグラーの左右のジャブをかわし、左右のフックからアッパーといったコンビネーションで、ハグラーのガードを跳ね上げ、ジャブを見舞うというレナード有利の展開に。12ラウンドもやはり接近戦では最初ハグラーの連打がいくつか入るものの、今度はレナードも左右のフックからボディーの連打を返し、離れた後にハグラーが右ストレートから強引に入り込み、またもや両者の連打。しかし、ヒット数は明らかにレナードのほうが多く、ハグラーも疲れてスピードが出ない。後半20秒はレナードが距離をとってハグラー攻撃をサイドステップで避け続け、試合終了。互いに決定打の無い試合だったが、1ポイントの差でレナードが勝利。ミドル級最強の称号を手にしたレナード、37歳になったハグラーは引退した。62勝3敗2分、俳優業にもチャレンジしたみたいだが、現在は不明である。
しかし、レナードはベルトを返上、当時WBCライトヘビー級チャンピオンだった、31勝3敗のドン・ラロンデを9ラウンドでTKO、ライトヘビーのベルトと共に、第1代スーパーミドル級王者のベルトを手に入れ、ライトヘビーのベルトを返上した。理由はただ一つ、スーパーミドルでトーマス・ハーンズが待っているからである。
1987年、ハグラーにKO負けしたハーンズはライトヘビー級チャンピオンのデニス・アンドリュースを10ラウンドTKOで破り、ベルトを奪取&返上し、ハグラーが剥奪されたWBC世界ミドル級王座を獲得するも、階級の変化に肉体が着いていけずアイラン・バークレーに3ラウンドTKOで破れ、再び階級をスーパーミドルに上げ、今度は発足したばかりの団体WBOの世界スーパーミドル級王者決定戦を制して王座獲得、1989年4月12日、約7年ぶりにレナードとの対決です。
ウェルターからスーパーミドルにまで階級を上げた両者、10キロという体重の増加は見た目にも明らかで、ハグラー戦で見劣り無く全体が太くなったレナードが、彼よりも一まわり身体の大きいハーンズの破壊的な左右のジャブに大苦戦。距離をとって左右のジャブ、ストレートでハーンズのフック、ストレートをサイドステップでかわすレナード。3ラウンド、レナードの右ストレートとハーンズの左ボディー攻撃が互いにヒット。この一発で効いたのはレナードのほうで、ハーンズの右フックから左ストレートでたまらずダウン。すぐに立ち上がり、距離をとりながらの左右のジャブ、ストレートで再び距離をとるの繰り返し。懐に入ってきたハーンズをクリンチでしのいでこの回は終了。このときトーマス・ハーンズ46勝3敗、うち1敗はレナードによるものである。インファイトでは負ける、その教訓をハーンズは生かしていた。
5ラウンド、中距離からのハーンズの左右のストレートが飛んでくる。そうかと思えばボディーだったりと、レナードはなかなか近寄れず、ハーンズの左フックを顔面に食らってよろめく場面も。だが、残り1分、レナードの左フックでハーンズは大きくよろめき、この一発で接近戦を余儀なくされる、レナードのボディー、ストレート、アッパーの容赦ない連続攻撃がハーンズを襲う。身体を大きく振り、ガードするも何発か食らっている。残り30秒になり、よろめきながらもなんとかリング中央に戻ったハーンズだが、スピードが落ち、パンチに圧力がなくなっていた。その後は近距離ではレナードの連打、長・中距離ではハーンズの右ストレートからの左ボディーで互いに決定打を見出せぬまま、試合は11ラウンドへ。
しかし、11ラウンド開始1分、ハーンズの右フックがレナードの顔面を捉え、その後の2発の大きな右フックがやはりレナードの顔面にクリーンヒット、レナードまたもやダウン。カウント8で立ち上がるレナード、だが、ダメージは大きく、その後はハーンズの左ストレート、ボディー攻撃の直撃を受ける。レナードも返すが振りが大きく当たらず、中距離でハーンズが優勢のままゴング。決着は12ラウンドに持ち越された。
12ラウンド開始早々、ハーンズの左ジャブ、右ストレートに何度と無くさらされるレナード、動きも遅く、手が出せない。しかし、開始1分後、レナードの右ストレートが当たったかと思うと、とたんに動きが鈍り、ロープ際に逃げるハーンズ、容赦ないレナードの左右のジャブ、ボディー、フックが飛ぶ、手が出せず、手をだらりと下げて立っているだけのハーンズ。残り1分になり、クリンチしながらなんとかリング中央に戻ったものの、やはりレナードの左右のフックにさらされ、左右のストレートで応戦するもほとんど当たらず、再びロープまで追い詰められた状態で試合終了。
判定はドロー。ハーンズは「また戦う日が来る」と言ったが、この後、階級をライトヘビーに上げてしまったハーンズがレナードと対戦したのはこれが最後となった。
スーパーミドル級タイトルを死守したレナード。だが、まだライバルが一人残っていた。ウェルター級時代に戦ったライバル、ロベルト・デュランとの3度目の対決である。
デュランはハーンズに敗北後、一度は引退するも、1年半後、再び階級をミドルに上げ、連戦連勝。ハーンズが倒せなかった相手、アイラン・バークレーを判定で下し、WBC世界ミドル級王者に。1989年12月7日、9年ぶりにレナードと対決した。
序盤はレナードにデュランが左右のワンツーで飛び込ん出来たところをレナードがフックからのアッパー、ストレートで返り討ちという展開だったのだが、スピードが明らかに落ちてレナードが余裕を見せ始めた6ラウンド、近距離になったところでレナードの左右の強烈なフック、ストレートが面白いように決まる、それでも倒れないデュラン。6ラウンド終了のゴングの時にはレフェリーに八つ当たりするほど元気が残っていた。7、8、9ラウンドは、レナードがステップワークで距離を取りながら左右のストレートで打って離れ手を繰り返し、飛び込んできたデュランをかわして距離をとり続けるで、リーチの短いデュランにはなすすべが無く、10ラウンド終了間際、ようやく近距離での打ち合いになるもレナードの左右のボディー攻撃の連打が当たりまくる。デュランはこの回、4、5発ほどしかまともに当てていない。9年前と同じ戦法に頭がきたのか、ゴングが鳴っても聞こえていないのか、レナードにフックをお見舞いするデュランにレナードは苦笑い。
しかし、11ラウンド、またもや距離をとってのストレート、フックを続けてきたレナードにアクシデントが起こる。残り30秒になってレナードが右ストレートを放った瞬間、デュランのストレートがダイレクトに右瞼を直撃、この一発でレナードは右目の上から出血。ここまで10ポイント近くポイントリードしてきたレナード。ここでドクターストップがかかればデュランのTKO勝ちになりかねなかったが、インターバル中になんとか止血し、最終12ラウンドへ。このラウンドもレナードが距離をとってストレートでデュランの侵入を防ぐ戦法。だが、時折デュランのストレートがヒットし、距離をとり続けるレナードがデュランから逃げているようにも見えかねない。結局ラスト5秒でクリンチの状態のまま試合終了。判定はアウトボクシングを最後まで崩さなかったレナードの勝利。そして、この試合を最後に彼ら4人のスーパースターの名勝負は幕を閉じた。
結局、レナードはデュラン、ハーンズ、ハグラーの3人を倒し、その後、スーパーウェルター級に戻るも、当時王者だったテリー・ノリスに判定負けし、引退、6年後辞めればいいのにミドル級で復帰し、へクター・カマチョに5ラウンドTKOで破れ、完全に引退。2年前にレナードプロモーションなるボクシングプロモーションを設立するも、選手が引き抜きにあい、解散。選手としてはピカイチでも、ビジネススキルはイマイチだったようである。
ハーンズはその後もボクシングを続け、バージル・ヒルを判定で下してWBA世界ライトヘビー級チャンピオンに輝くもまたもやアイラン・バークレーに破れ、その後はなんとクルーザー級まで階級を上げるが、前IBF世界クルーザー級チャンピオンだったユーライア・グラントに2ラウンドTKOされたのを最後に完全に引退。ともあれ、5階級を制覇した(レナードの場合、スーパーミドルとライトヘビーの2タイトルが同時にかかっていたので4階級制覇というべきだろう)ボクサーは彼が最初で、オスカー・デ・ラ・ホーヤが2004年5月に6階級を制覇するまでその記録は破られなかった。
さて、デュランはというと、レナードと最後に対戦したときの戦歴が86勝7敗だったのに、その後もスーパーミドルで試合を続けるもマイナー団体のIBCタイトルに4度挑んで1度しか獲得できず、9年ぶりに挑んだWBA世界ミドル級タイトルマッチで王者ウィリアム・ジョッピーに挑んだときはブヨブヨの腹で動きが鈍く3ラウンドでTKO負けするほどまで弱っていたが、今度はパット・ローラーを判定で下して、NBA世界スーパーミドル級を獲得(しかもその間にプライドで舟木と総合で対戦していた)。しかし、こちらもへクター・カマチョに判定負けして脱落、完全に引退した。戦歴は104勝16敗、引退時の年齢はなんと50歳!。まさにファイターという称号がふさわしい人物だった。

まとめ

これまで4人の選手の対決を紹介してきたが、皆ハグラーを除いて「階級」という壁を乗り越えて対決している。デュランはライトからスーパーミドルまで進出、ライト、ウェルター、スーパーウェルター、ミドルまで4階級を制覇したが、間違いなくベストウェイトは13度の防衛を果たしたライト級時代だろう。他の三人はミドル級まで進出する大柄な体格だったのに対し、一回り体の小さいデュランは、ミドル級以上では腹回りの脂肪が目立ち、いつ倒されるのかと見ていられない状態だった。ちなみにライト級のリミットが61.2sなのに対し、最後に進出したスーパーミドルは76.2s、なんと15sも増量したのである。
レナードはというとウェルター(66.6s)からスーパーミドルまでだからやく10s。彼はハグラーを下したミドル級がベストウェイトだと思う。最近、ヘビー級王者になった後でライトヘビーに戻り2連敗したロイ・ジョーンズJrもミドル級から初めて最終的には15キロ増やして王者ジョン・ルイスに判定勝ちしたが、これは異例。ミドルでデビューしたジェームズ・トニーもなかなかヘビーに階級を上げられないでいる。どちらかというとハーンズは前者に当てはまり、クルーザーまで行った彼はなんと20kgの増量をしている。レナードよりも一回り大きい彼だが、スーパーウェルターの頃が一番スピードがあったと思う。だが、皆、どの階級でも凄まじい名勝負を繰り広げたことに間違いは無く、他の選手を寄せ付けなかった。ハグラーを中心に約10年間、ボクシング界は中量級の黄金時代を築き上げてきたのである。


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